岩国市議会 2021-02-24 02月24日-01号
また、子供や保護者に安心・安全な保育環境を提供するため、周東町のわかば保育園の建て替えを進めてまいります。 さらに、こども医療費助成制度などを継続するとともに、季節性インフルエンザに係るワクチン接種費用の助成の対象となる年齢を1歳から生後6か月に拡大します。 このほか、保護者の経済的負担を軽減するため、市立小・中学校の給食費無償化についても、引き続き実施してまいります。
また、子供や保護者に安心・安全な保育環境を提供するため、周東町のわかば保育園の建て替えを進めてまいります。 さらに、こども医療費助成制度などを継続するとともに、季節性インフルエンザに係るワクチン接種費用の助成の対象となる年齢を1歳から生後6か月に拡大します。 このほか、保護者の経済的負担を軽減するため、市立小・中学校の給食費無償化についても、引き続き実施してまいります。
民生費では、保育園・幼稚園・認定こども園などの利用に対する子ども・子育て支援施設型給付費のほか、老朽化した市立わかば保育園の施設整備に係る経費を計上しており、前年度に比べ0.5%増の237億2,642万4,000円となっております。
本市における市立保育園の耐震強度につきましては、平成23年度までに耐震診断を実施し、その結果、大規模な地震により倒壊の危険性が高いとされる構造耐震指標Is値0.3未満の保育園は、たかもり保育園・わかば保育園・よねがわ保育園・ながの保育園の4園、危険性があるとされるIs値0.6未満の保育園は、えきまえ保育園・ひがし保育園・みかわ保育園の3園となっております。
そういう議論を踏まえて、昭和47年、あなたが役所に入られる前に、わかば保育園が乳児保育園として建設をされ、48年には中央保育園、香力保育園が社会福祉協議会の運営から市の運営に、市立保育園に切りかわる、さらには、49年には花岡保育園、51年にはあおば保育園が建設をされて、下松の保育のそういう中心を市の保育園、公立の保育園が担うという、そういう時代にあなたは下松の市役所に入っておられるわけです。
最後に申し上げておきたいのは、これまで昭和48年ぐらいに公立保育園が一つもなかったのをわかば保育園、乳児保育園を最初につくって、花岡保育園をつくり、あおば保育園をつくりというふうな形で公立保育園をふやしてきた下松の歴史があります。それから40年経った今、公立の保育園を減らしていこうという、そういう施策が進められようとしています。
6人に1人つけにゃいけんというふうなことの中で、1園当たりが預かる子供の数が非常に制限をされてるから、昔、山中健三さんの時代に、わかば保育園をつくりましたよね。我々が議員になる直前かな。乳児保育園をつくられたんですよね。その後に、あおば保育園をつくられた。
しかし、保育園が不足をしている、あそこの保育園がもともとわかば保育園とあおば保育園、二つの保育園が隣接をして、それぞれ独立園として存在をしておったわけですけれども、平成13年でしたか、行政改革の一環で、井川市長さんのもとで一つの園という形で統合されたという経過がございます。
下松では、昭和40年代まで、民間の施設に実際の保育をゆだねていましたが、市民の皆さんから「保育園をふやしてほしい」の声にこたえ、市の財政事情が一番厳しい時代でありましたけれども、昭和48年、公設直営のわかば保育園を新設して、乳児保育を始めるとともに、中央、香力の保育園を直営保育園にし、花岡とあおばもその後建設をして、働く市民の子育ての支援策を強めてきた歴史があります。
◎少子化対策担当部長(網本哲良君) 市内の保育園のゼロ歳児の受け入れについてはこれまでずっと下松の場合は特殊な事情がありまして、もう公立を開設した当時、ですからわかば保育園を開設した当時から、もうゼロ歳については公立わかばで受け入れますよということでずっと長い間きたわけですね。
◎市長(井川成正君) 何回お尋ねになっても平行線と思いますが、基本的には、もし民営化ができなかった場合には、今のわかば保育園はそのままにして、民営化の保育園をつくっていかなきゃいけないと、こういう考え方がありますから、だから中央保育園の民営化ができることによって保育園の整備をしていこうと、公立のですね。
その保育義務を市町村にあるということを下松市は自覚をして、昭和47年にわかば保育園を建てたんですよ、市の施設として。 翌年に、中央と香力保育園を直営にしたんですよ。その後、花岡、あおばの保育園も建てたんですよ、財政が厳しいけれども。保育責任を果たすためですよ、当時は。 私は、ここに本来の市町村がとるべき態度があったと思うんですよ。今に比べると、同じ自治体でえらい違うなと、スタンスが。
ですから、それまでは、すべて旧わかば保育園のほうで、ゼロ歳児については受け入れをしておりました。 ○議長(中谷司朗君) 高田悦子議員。 ◆20番(高田悦子君) そこで、これは、ちょっと私の想像というか、考えですけど、現在民間の保育園が11カ月ですね。3カ月からの子供を受け入れていない背景といいますか、それは保育施設に、ゼロ歳児はベットを置かなければいけない。そうしたスペースも必要になる。
これは、ただ、数字だけを見ていただくと、そういう結果になるのですけど、もう本市の長い保育園の歴史の中で、昭和47年にわかば保育園ができてから、ずうっとわかば保育園がゼロ歳児を見てきたわけですね。公立と私立が、それぞれ役割を分担して市内の保育をレベルアップしてきたわけです。 ですから、数字だけ言われると、そりゃ、ちょっと今の私立にとっては、それ以上の受け入れというのは難しい状況にあります。
それから、もう一つ私は、今言うわかば保育園はすばらしいものにしたいということがあるんですよ。それは、どこから視察に来られてもいいほど、(「それはやりましょう」と言う者あり)その資金もやっぱり今の財政力の中ではなかなか厳しいものもあるし、だから、方針が出れば、私はまず一番先にわかばをということを部長にも言ってますね。
まず皆さん御承知のように、わかば保育園とあおば保育園は、かつては2園一緒のところにありましたね。そして240名、当時はおられたんです。現在はあおば保育園に定員が120名で139名が今入っておられます。だからここを立派な保育園に、市の1カ所としてまとめていこうじゃないかというのはここにあるんです。
それから、あおば、わかばは今統一した一つの園ですが、当時、あおば保育園は90名、わかば保育園は60名でありましたが、それでも定員を超えるぐらいに保育所がにぎわっていたということがあります。 予算面では、今触れたように、もう3,000万円から3,500万円落ちている。
その基本構想を検討する過程の中で、議会でも当時高度成長という状況のもと保育所不足がいっぱい起こる中で、保育所を何とかしなきゃならないというのが盛んに議論をされ、その議論の中でわかば保育園の建設をされ、香力と中央保育園が公立保育園にされ、花岡なり、あおばの保育園が建設をされるという、そういう歴史をたどってきたと思うんですね。それはそういう歴史でなかったか。
下松で最初に公立保育園という形で設置をされたのは昭和47年に新設されたわかば保育園であります。中央保育園と香力保育園の運営が社会福祉協議会から市に移管されたのは翌年の昭和48年4月からであります。今考えますと昭和47年、48年といえば、市の財政破綻が表面化をする、その直前です。当時の財政資料をいろいろと引っ張りだして見ますと、粉飾決算といいますか、県の方にまともに報告もしてなかった。
これはわかば保育園と統合したときにできたものでございますけど、今希望者の多いのは3歳未満児です。3歳未満児の児童の受け入れが非常に多くてということになっておりまして、この教室は3歳未満児の受け入れ体制にしますとトイレが必要になりまして、水回りとかそのような環境整備が必要になっております。そういうところで研究してまいりたいと、こう申し上げたわけでございます。 以上です。
わかば保育園給食調理室改造ほか工事は、統合に伴う設計協議が遅延したため、工事費及び厨房機器備品購入費の一部を繰り越したものであります。 都市活力再生拠点整備事業は、参画予定のディベロッパーが辞退したことと、再建築建物の設計変更に不測の日数を要したため、実施主体への補助を繰り越したものであります。 西本通線道路改良事業は、用地交渉が難航し工事着手を延期したため、全額を繰り越したものであります。